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西会津に行って来た!(②学校のこと)
コミュニティーバスを降りて、いよいよ学校につく。
            (コミュニティーバス編)こちら
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村には廃校になった美しい木製の校舎があり、「会津国際芸術村」として残されている。
レジデンスや公募展に使われる意外にも、町主催『さゆり中学』という、至って自主的な生涯学習講座が開かれており、中学校舎なので中学として初まったのだけど3年しても止まらず、今では大学、大学院にまでなっているそうだ。
生徒も先生も実際のこの学校の卒業生だったりする。
同窓会の会場にしようなどと言う案も出て楽しそうだ。

滞在中にも学校の日があり、近隣にある山に伝わるの狐の嫁入りの、かなりリアルなお話が漏れ聞こえて来たので、思わず立ち聞きし、廊下で立たされてる子の気分を思い出したりしました。
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建物自体の美しさや木造建築の暖かみの奥に、じんわりとした優しさがこみ上げてくる。
創立明治6年、建物自体はもう少し新しい。
白木の針葉樹で作られたらしき床や壁は、落書きなど全く無いばかりか、黒ずんでもおらず、壁の節穴を塞いだ補修の痕など見ても、ここが お父やお爺たちが総出で建てた大切な建物であった事がうかがえる様な気になるのだ。 
後に近所の方(自動的に卒業生)に聞くと、やっぱり落書きなどする子は現れるもので、そういう時は校長先生はじめ先生方が飛んで来て、「だれだ!!」という事になり、みんな目をつぶって、「自分だ」と言う子が手を挙げるまでいつまでも座らされたりしたそうだ。^^
あーーそう言えば… と、遠い記憶の中の石炭ストーブの学校の光景が浮かんでくる。。

「…そう言えば、普通この年で学校の建物に入るってことありませんものね。」
古い建物というのは、その建物の歴史を内包して行くものなのかも知れない。壁にかかった校歌や生徒たちへ宛てた言葉、OB会が刻んだ石の碑文、少し残されている昔の写真など見ていると、言葉にならないものが伝わって来て…。

…この学校の空気は清々しく背筋が伸びて好奇心が増すような効力があります。
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この頃では西会津にも微かながらアイターンの流れが起こり始めており、学校はアイターンの人たちが地元を学んで行く拠点にもなって行きそうな良いムードで盛り上がっていた。

昨年の夏は、「草楽房」として各地で自然農やアイターンを実践している人達が主催する「おまつり」をいくつか廻り、全国から集まって来る仲間たちの村の様子を沢山聞いて来た。
長野(大鹿村他多所)、山梨(八ヶ岳•甲府)、千葉(鴨川)、静岡(南伊豆)、京都(綾部)、岡山、広島、徳島、etc…。これらは去年そこから来てる人に実際話を聞いた中で、移住者受け入れが良い感じに盛り上がっている場所で、私の知らない場所がまだまだ沢山あると思います。

自然農や半自給生活にチャレンジする人は、一昔前は移住者同士で集まって独自のコミュニティーを作って暮らす事が多かったようですが、地方に「田舎暮らし」と言うイメージが定着して来てからは、みなバラバラに集落に分かれて、隣近所の人に教えてもらったり助けてもらったり笑って貰ったりしながら、何かの時には移住者同士の広範囲なつながりでサッと集まる…と言ったスタイルになって来ているそうだ。個別に移住しても横のつながりが整っているため結講ありえないサポートが得られたりして、3.11で移住して軌道に乗り始めている人たちも多く心強い。
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また個別に移住して、地元とつながって行く事で、移住者の内面にも土地柄が浸透し、例えば京都の綾部あたりだと、どことなく「しっとりと伝統を楽しむ」ような雰囲気があり、長野の大鹿あたりだと、「山国野生児生活」みたいな勢いがあり、長野のおまつりでは、キャンプ場の管理人(自称山猿)のおじさんに「一体どっから次々こんなに(野生児が)湧いて出たもんだか、おら、ぶったまげたでよ!」と大いに褒められ、「ウチ、電気、ガス、水道、全部ナシ。楽勝っす♪」とか言ってる男の所に、ついに可愛いお嫁さんが来たりして、大盛り上がりだったりする。

私が西会津の事を書きながら、いつも思い出しているのは、いわきの丘向こうの山村の、あの3月に荒起こしされたまま時の止まった様な田んぼの風景。
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「そばの白い花どこへ行った」
「かわうち通信:復活米の末路」
「汚染地図を書き換えているだけの愚」
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風はほとんど北西から南東へ、海の方へと抜けて行き、ほんの一部が陸側に流れたのでした。
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「移住者」は地元に根付いた暮らしをまだ良く知らない代わりに、大きな視点の横のつながりには強い人が多い。
代々土地を守って来た地元の人と、大きな動きの中を巡って来た移住者の視点がうまくつながる事で、私たちは愛する場所を守って行く事が出来る様になるのではないだろうか…。
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集落は一本の花の様に地に根をおろし、まっすぐにのびている。
西会津はいっぱいに花をつけた一本の木のようで、アイターンの家族は蝶や小鳥の様に花と花をつなぎ木をつなぎ、横のつながりを活気づける。
そんな十字の接点が「学校」になって行くのかもしれない。
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# by sooko123 | 2013-06-27 12:51
西会津に行ってきた!(①コミュニティーバスのこと)
絶不調の昨年から ようやくエンジンもかかりはじめ、
7月の個展に向けて気合いを入れるべく 西会津へ小旅行に行ってきた。

友人の「スーさん」が「西会津国際芸術村」と言う所で新プロジェクトを模索中と言うことで
思い切ってのぞきに行かせてもらうことにしたのだ。
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コミュニティーバスを降りると、みどりの匂いがした…
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「ああ。。。なんてきれいな空気なんだろう…」
そこは、深山の隠れ里そのもので、山からあふれる天然の資源、何代も続いてきた美しい田んぼ、古い落ち着いた農家… ほんとに本当に美しく…
「いつか「日本」が終わってしまっても、ここだけはこのまま暮らして行けるなあ…」
そんな気持ちがググッと湧いてきて、そして、今のいわきと比べると、なんだか泣きたい様な気持ちになってしまうような、いとおしい汚れなき土地だった。
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書きたい事が多すぎてどこから書いたら良いやら… 
現役世代はみな出稼ぎに出てしまい、お盆くらいしか帰って来れない。
でも、この過疎化した村々は、地域で独立できている。。おとぎ話の桃源郷のような…。 
自然と一体化した深い文化を持つ強いコミュニティーなのだ。。
いや、住んでいない旅行者の妄想なのですが、、でも。

まずはコミュニティーバスの様子で、西会津に行った喜びが伝わるかもしれない。。

西会津で一番大きな駅「野沢」は電化されていないのでディーゼルがやってくる平屋のかわいらしい駅で、充実した花壇がゆったりと落ち着いた時間の流れを表すようだった。
一団の高校生のあとから、花壇に見とれながら改札口へ行くと、老眼鏡をオシャレにかけた御夫人がにこやかにこちらを見ているので、一瞬「きれいな庭のお宅におじゃました」ような錯覚におちいる。女性二人が駅員さんをしていて、とてもいい感じ。
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大荷物を引きずってキョロキョロ頼りなく急ぐ私たちを見つけて、向かいのバスターミナルの人たちが「大丈夫。ゆっくりね。」と至っておおらかな空気を送ってくれる。

朝昼夕に数本、スクールバスサイズの集落循環バス。予約式で、1時間前に電話すると微妙にコースを変えたりしながら拾ってくれる方式らしい。
入り口の席にいたおじいさんが 大荷物の私たちに席を譲って、ヒョイと後ろのおじいさんの隣に移動。喜ぶ私たちに「はいよ♪」と軽く会釈して後ろの席で世間話をはじめる。 
高校の前から幾人かの高校生が挨拶しながら乗ってくる。
運転手さんが「…?」と言う様子で会社に無線。
「○○ちゃん何か連絡ありましたかー?」 
「では停留所に見かけないので出発しますー。」こんな感じ。
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スーさんのことはバス会社の人は既にみな知っているそうだ。 私はどこから見ても芸術村のお客さんと言うことになりそうだ。
おじいさん達の世間話に女子高生も加わる。何か内輪な話で内容は分からなかったけれど、小さなバスの中は なんと言うか、カマクラの中のような 暖かく丸め込まれるような雰囲気で満たされて行く。
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行く手に飯豊連峰が現れる…
「いいで」がこういう字とは知らなかったけれど、まさしく瑞々しいフクフクした植物がこの地方特有の風景を作っていて、山菜好きの私の目には、そこら中がおいしい「飯」に満ちて見える。
西会津の村々は「山間の谷の村」ではない。
懐の広い山すそ、ふくよかな森の間に、「細長い小さな高原」が 点々と散らばっている形で、日当りのよい印象だ。
どこの家も様々な花を 見た事も無いような大株に育てていて、大きな土地と大きな時間にうっとりする。

バスは村をめぐり、おじいさん達も「じゃ、またね。」と手を振って家の前で降りて行く。

免許皆伝のお年寄りが主流の山村地域が「西会津」と言う名前でまとまっている。だから、山村に合ったスタイルが採用される。 いわきの山村地域にこのコミュニティーバスがあったらほんとに便利なのだけど。。
排気ガスで汚れていない、車社会ではない村が(ぎりぎり)成り立ってる秘密…
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さて、やっと学校に到着するのですが、この続きはまた次回。。。^^;
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# by sooko123 | 2013-06-19 19:27
【日月暦】 あけましておめでとう!
【日月暦】 あけましておめでとう! 
http://moon.ap.teacup.com/kusagakubow/400.html
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旧暦(植物暦かな?)を使ってみて、一番新鮮、新感覚だったところ。
冬至から正月までの「空白の時」
神無月~霜月~師走の感覚… ふゆごもり…

節分から、春一番っぽい強風が吹いて、
霜は降りてるけれど、小さな植物達は着々準備を仕上げており
「師は走っとるなあ…♪」と観察。

「あけ」 暖かい日差しの始まり…
「睦月」睦まじく過ごし、土から顔をのぞかせる…
  おめでとう… ♪♡


                           2013.2.10
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# by sooko123 | 2013-03-10 19:48
インド三神と世界の神
ブラフマン



ビシュヌ():ガルーダ(鳥人):アナンタ(蛇):

サラスバティー(吉祥天):(白鳥)

シバ(大黒天):ナンディー(牛)

サティ=サラスバティ():(ライオン)



祓戸大神http://www.genbu.net/saijin/haraido.htm
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# by sooko123 | 2013-01-08 12:51
いわきの妖怪
あまり霊とかは見ないタイプなのだけど、このごろ霊の声が聞こえる…(笑)
 震災で亡くなった人達が自分の町がまだ打ち捨てられたままになっているのを嘆く声、山や農家で暮らせなくなり自殺した霊の声、原因不明の病気でなくなり「オレが弱かった」からなのか?と問いかける声、戦争で死んでいった霊の声、チベットで焼身自殺したお坊さんの霊の声、悔し涙で仲間を思いながら死んで行った…そんな沢山の霊たちが、福島上空に集まって何か唸るような叫ぶような声を発する…。 夜中にその声は大きくなり、それで明け方に地震が多いのではないのかと思ったりする…。
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何となく怖い感じだけれど、『霊は出たほうが良いのだ』と言う意見があり、それを聞いて私はスッキリした。

光を当てる…肯定的に霊の言葉に耳を傾けると、必ずしも怒っている訳ではなく、アッチの世界から見てみたら全ての謎が解けて、「なんだそういうことなのにまだ気付いていないのか…」と心配して、訴えながら虹色の光を発する風の渦となって廻り、集い、廻り、その中から何か実体のある良いものを送り込もうとしているらしい気配…
そんなふうに思えてきた。

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ところで いわき上空はあまりにも霊の動きが激しいので時に参ってしまいそうだけれど、いわきにはこの土地の歴史的地理的特徴の中で生まれた強力な妖怪達が沢山いて、彼らが結界をはって 町の地面に近いあたりを守っているのを私は多数目撃している。(笑)

以下は以前友人といわき中央図書館の民俗学の棚から妖怪探しをした時のアヤフヤな記憶を元にした、いわき妖怪の紹介です。御免!
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◎べろべろの神 (震災直後に多数現れたのを目撃^^)
『「べろべろの神」は「へろへろの神」「屁ひりの神」とも言い、 すかし屁をした当人を見つける遊びだそうです。
車座になって、こよりを曲げて手に持ち、 「べろべろの神は正直神(がみ)よ、誰(た)がした、彼(か)がした、した方(ほう)へつん向け」という囃子言葉を唱えながら両手で揉み回し、 この言葉がおわった時にこよりの先がさした人を犯人とします。』

神だか紙だか、なんとも細っちくて弱々しい神…。撚りがほどけてグニャ~っと動きながら皆の顔を指してゆく、こっちを向くとちょっとドキッとして過去の屁に関する色々を思いだし、そうなって来るともう誰が犯人でも同じことで何だか笑ってしまう と言う神。 いや、神とか名乗ってるがきっと妖怪神だ…。
臭~い匂いが立ち込めて、皆の間にイヤ~な空気が漂いかけると現れ、皆を輪にして笑わせる。
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◎河童の話
いわきの泉ヶ丘と湯元の間の用水の川に小さな石碑があり、伝えられている話はおおよそこんなだ。
『村で河童が捕えられた事があり、どうしたものか?と村長の所へ連れてゆくと、「ここいらで河童が悪さをしたと言う話は聞いたことがない、放してやろう」と言うことになり、それを聞いた河童は涙を流して喜び、「決して悪さはしないけれども、夏の閻魔様の○○の日には川に子供が居ると連れてゆかねばならない、その日には合図として白い藤の花を咲かせるので花を見たら川に子供を近寄せてくれるな」 と頼んで帰っていったと言う。』

石碑には「白い藤はこの辺に咲いていたけれど、最近めっきり見えなくなってしまった」と結んであったけれど、この少し川下の街道に面した土手山の高く伸びた篠竹の奥に、ニセアカシアの巨木と見まごうばかりの大きな白藤が見事に咲きあふれているのを、去年だったか一昨年だったか印象的に見たのを覚えている。
少し怖いような所もある話だけれど、私はいかにも「いわき」らしい良い話だな…と思って書く。
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◎小豆洗い
各地で色々な言い伝えがある。
『川のほとりで「小豆洗おか、人取って喰おか」と歌いながら小豆を洗う。その音に気をとられてしまうと、知らないうちに川べりに誘導され落とされてしまうともいう。音が聞こえるだけで、姿を見た者はいないともいわれる』とか『人をさらう』と言うような話も多いが、いわきの場合、次の話に近かった気がする『茨城県や佐渡島でいう小豆洗いは、背が低く目の大きい法師姿で、笑いながら小豆を洗っているという。これは縁起の良い妖怪といわれ、娘を持つ女性が小豆を持って谷川へ出かけてこれを目にすると、娘は早く縁づくという。』

「あずきは年明けや赤ちゃんの生まれる時など大変おめでたい時に食べるもので、その準備の音は縁起の良いものだ」と言う説、また別に、「小豆洗いの正体は大入道であった」という話もいわきの本にあったような無かったような…。
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◎一つ目入道と籠目
「事八日」に関連した春分の行事らしい…。いよいよ新しい歳の始まる前に 町に様々な怪物が歩き回る時期があると言う。 その親分格が「一つ目入道」で、一つ目で睨まれると病気になったりするという。しかし、目の沢山ある「籠」を掲げておくと、自分より沢山の目を持った者にはかなわないと感じ逃げてゆくと言われている。
この風習はいわきには最近まで根付いていたそうだ。
「籠目」や「目」には「邪視を避けるまじない」が込められていると言う話は多い。籠の目を通して見ると怪物の正体を知る事が出来、正体を知ると味方として自由に扱うことも出来ると言う話も世界中によくあるが、これはメモ。
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♪ かごめかごめ
かごのなかの とりは 
いついつ でやる
よあけのばんに 
つるとかめがすべった
うしろのしょうめんだあれ?♪


籠の目を通してそっとあの騒がしい上空をのぞく
一つ目の山のような巨人の周りを
雲のように取り巻くのは雨粒の霊たち
蛇のように連なる5000年のとぐろが山を巻く
後ろの正面だあれ?
雲に霞んだその上から
まるで雪のように降ってくる
黄色い花びら
アムリタの香り。

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